我が萩原薬局の地元、深谷市から大きなニュースです!!
渋沢栄一が、新一万円札に選ばれました。連日、テレビでも取り上げられ、深谷が賑わっております。ここで渋沢栄一の事を紹介したいと思います。
渋沢栄一(天保11年2月13日~昭和6年11月11日)(1840~1931)、榛沢郡血洗島村(現在の深谷市血洗島)の農家に生まれました。7歳の頃より、従兄弟の尾高惇史に論語を学びました。24歳の頃、徳川幕藩体制に疑問を抱き、尊王攘夷運動に加わりましたが、その後、一橋家及び幕府に仕え、慶応3年(1867)、第15代将軍徳川慶喜の名代徳川昭武(あきたけ)に随行して渡欧。約1年滞在する中で、ヨーロッパの進んだ思想・文化・社会などを目の当たりにし、大きな影響を受けました。
明治元年(1868)に帰国した後、大隈重信の説得により、明治新政府の大蔵省に仕え、財政の整備に当たりましたが、大久保利通らと財政運営で意見が合わず辞職。以降は、一般社会で実業界の最高指導者として活躍しました。各種産業の育成と多くの近代企業の確立に努め、第一国立銀行の創立を始め、設立に関わった企業は500余りに及びます。さらに、都市づくりにも情熱を燃やし、明治20年(1887)、栄一翁が深谷市大寄地区に設立した日本最初の大規模機械式レンガ工場で生産されたレンガにより、東京駅、日本銀行、旧法務省など、明治・大正の時代を代表する建造物が数多く建設されました。
上の写真は、深谷駅です。東京駅ソックリですね。
社長から聞いた話ですが、萩原薬局は明治14年(1881)創業なので、当時渋沢栄一が萩原薬局に買い物に来た事があるみたいです。そう考えると、すごいなって思いますね(^-^;